エピソード①「CD出した方がええ!出さなあかんって!」

¡Más allá! への道
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それは忘れもしない2013年のこと。
日本のフラメンコ界を牽引するトップアーティストの一人、フラメンコロイドの松村哲志さん(松っちゃん)の一言で始まった。

松っちゃんとの出会いは、2012年夏。
私が初めて日本フラメンコ協会が主催するフラメンコの甲子園とも言われている「新人公演」のカンテ部門に出場した時だった。
その時に私の伴奏をしてくださったギタリストは、日本フラメンコ界の重鎮である俵英三さんだったのだが、同じ年に同じ福岡からカンテ部門に出場したカンタオーラの林祥子ちゃんの伴奏をしたのがフラメンコロイドだったということ、そして、俵さんと松っちゃんが仲良しだったということもあり、新人公演のバックヤードで何かと声をかけあっていたのがきっかけで縁が繋がったのだった。
松っちゃんと言えば、フラメンコ界では超有名人!
私がフラメンコを始めたばかりのペーペーの頃から、松っちゃんはもうすでに有名人だったので、もちろん私は彼のことを知っていたから、そんなすごい人とまさかこんな風に繋がるとは夢にも思っていなかった。
そして、そんな松っちゃんとその後「CDを出す」という約束を交わすことになるとは、、
その時の私には知る由もなかった。。

さて、そんな出会いを果たした新人公演が終わり、しばらく経った頃、携帯のメールボックスに知らないアドレスからの着信が・・・。
「誰!?」
差出人はなんと松っちゃんだった!
しかも、読んでみると「年明け北九州で一緒にライブやらない?」というお誘い!!
実は私、フラメンコの踊りもやっておりまして。
フラメンコロイドのライブに踊りで参加しませんかー、という内容だったのだ!

「すごーい!!もちろん、やる!やる!」

二つ返事で引き受け、2013年1月、フラメンコロイドが初めて北九州にやってきた。
それが初めての共演となる。

さて、前置きが長くなりましたが、、
ここからが本題です。

その後すぐに2度目の共演。
それが、表題の「CD出した方がええ!出さなあかんって!」に繋がることになるのです。。

同じ2013年の夏、再び松っちゃんが北九州にやってきた。
フラメンコロイドのライブで踊らせてもらって、その翌日にフラメンコロイドによるパルマや歌のワークショップを開催。
そして、ワークショップの後、受講生たちで打ち上げがてら行った居酒屋さんで話し込んでいるうち、、不意にその瞬間はやってきた!

なぜか、突然始まった「CD出した方がええ」トーク。
松 「占部ちゃんさぁ、カンテやってるんやったら自分のCD出した方がええよ」
(どうしたいきなり!?)←Moeco心の声ww
Moe「えーっっ、、まぁ、そりゃぁいつかは出してみたいって気もするけど。。」
松 「1日も早い方がええ!」
Moe「あはは、そうだねー。いつかできるといいねー。」(いや、無理でしょ、、)←心の声
松 「いつかとか言うてたら、いつまで経ってもできん!」
  「4年後に出そう!出さなあかん!」
Moe「へっ?!4年後??」(なんの根拠で4年後??)←心の声
松 「今すぐは無理って思うやろ?でも、4年後なら出来る気がせぇへん??」
(あー、そう言われたらそんな気もするような・・・)←心の声
Moe「んー、そ、そうかな!?頑張ってみようかな!?」
松 「よし、約束や!4年後にCD出そう!ここにおるみんな証人や!」
Moe「お、おう。。約束や!!」(なんかわからんけど、約束してみよう、 笑)←心の声

フラメンコロイドの高橋愛夜ちゃん、そしてグラシアの生徒さんらが見守る中で交わした約束。
みんなの前でがっちり指切りげんまんした私達。


 ←これがその時の証拠写真!!
  この日交わした約束が、現実となる
  までにはまだまだ長い道のりが、、
  だが、しかし、この瞬間が無ければ
  LA MOECOは存在しなかったろう。





これが始まり。

ここから、まだまだ長い年月をかけ、、ようやくアルバムの制作が始まることになる・・・。


エピソード②に続く、、