エピソード② 背中をグッと押された瞬間

¡Más allá! への道

さて、松っちゃんと「4年後にCDを出す」と約束したその日から、毎年フラメンコロイドが北九州にやってくることが恒例行事となった。
そして、1年に一度、松っちゃんに会うたびに「1日も早くCD出さなあかん!」と言われることも恒例行事となっていたww

しかも、毎回毎回、松っちゃんは熱く熱く声をかけてくれた。

が、しかし、、当の本人はなかなか重い腰を上げれないでいた。。

今の私に、はたしてCDを作るなんて技量が備わっているのか??
そもそも私の歌を聴きたい人なんているのか??
自問自答する日々、、
今思えば、その時はCDを作る作らないということよりも、今はもっとやらなければならないことがあるような気がして、というか、やらなければならないことが色々とあったのだと思う。

結局、あの約束の日からズルズルと年月は流れていき…。
あの日熱く交わした約束も、このまま夢のまた夢で終わっていくのだろう、、所詮私には無理な話だったのかもしれない。
いつしかそんな風に考え始めていた。
そうして、気がつけば、あっという間に4年目がやってこようとしていた。。

 そんな約束の4年後となった2017年の春、松っちゃんと
 フラメンコのお仕事で共演する機会があった。
 場所はなんとベトナム!!!
 元々福岡のフラメンコ仲間だった岡田麻里ちゃんが、
 旦那さんのお仕事の都合でベトナムへ渡り、その後
 フラメンコ教室を始め、その教室の発表会を開催する
 ということで2016年の秋にカンテ(歌)として呼んで
 もらったのだが、2017年の春、再びフラメンコライブで
 歌わせてもらうことになったのだった。

そして、2回目のベトナムで共演することとなったギタリストが松っちゃんだったのだ。

ベトナムのお仕事が決まった時、ギタリストが松っちゃんと聞いて、ふと私の中の何かが動き始めていた。
2017年。あの約束の日からちょうど4年だ。
そう、「4年後にCD出そう!」と約束した、その4年後の年。

ベトナムに発つ日、ベトナムに着いたら松っちゃんにCDのことを相談してみようと心の中で決めていた。
どんな風に相談したらいいかなんて何もわからないけれど、ただ漠然とそう思って向かった。

そしてベトナムに到着し、いつ松っちゃんに切り出そうか…と考えていたら、
なんと、突然、松っちゃんの方からCDの話が飛び出してきた!!
それは、空き時間にみんなで立ち寄ったカフェでの出来事。
何の話からそうなったのかは全く覚えていない、、でも、それは突然やってきた。
確かに、あの約束の日から毎年、会うたびに松っちゃんは「はよCD出そう。出さなあかん。」と言ってくれてはいた。
だけど、これまでの恒例行事のようなやりとりとは違う何かがそこにはあって、それはいつもにも増してとても熱いやりとりだった。
もしかしたら、自分自身の気持ちがそれまでと違っていたからかもしれない。
4年前のあの日のことが蘇ってきた。そして、その時よりも確実に熱い気持ちが生まれていた。
松っちゃんは「CD出すなら、やり方ちゃんと教えたるから。わからんこと何でも聞いてや。」と言ってくれ、
話す内容もこれまでとは違う具体的なものになっていた。
私の中で、それまでより一歩奥へ踏み込めた気がした。

そんなベトナムでの出来事があり、その数ヶ月後、毎年の
恒例行事となっていたフラメンコロイドin北九州ライブにて
松っちゃんと再会。
なぜか我が家の親戚の集まりにフラメンコロイドも参加する
ことになり(笑)、北九州の夏の風物詩である関門花火大会を
一緒に観ることになった。
その夜、親戚の家で晩ご飯を食べている最中、灼熱の
「CD出すトーク」が繰り広げられることとなる。。

ベトナムでの熱いトーク再来ww
松っちゃんのみならず、フラメンコロイドの愛夜ちゃん&まこちゃんも加わり、みんなが「協力するから!」と言ってくれたことが私の中の何かをさらに突き動かしたきっかけとなったことは間違いない。
帰り際、エレベーターに乗る時、まこちゃんが「占部ちゃんのCD楽しみにしてる」と言ってくれたことが今でも忘れられない。
その時私の心は「絶対に頑張ろう!!叶えよう!!」と大きく叫んでいた。

この日、私はフラメンコロイドの3人に背中をグッと押されたのだった。

「4年後に出す」というのは叶わなかったけれど、「4年後にやる気出す」ことになったというのは
大きな一歩だったと思う。

とは言え、本格的に動き出すまでにはまだもう少し時間がかかったのだけど、、


エピソード③に続く、、